「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」               ルカによる福音書23章34節 
 アクセサリーのデザインにもよく使われる十字架ですが、これは死刑のための道具です。両方の手首にクギが打たれ、足は重ねてクギが打ち込まれ、この三点に全体重がかかる苦痛と疲労の中で、長い人で三日もかかって死んでいくのです。しかもこの間はさらし者にされたまま。歴史家も「もっともみじめな死」「奴隷に科される拷問の最悪のきわみ」と書き残しているほど。あまりにも残酷で非人道的な処刑方法なので、ローマの市民権を持つ者はたとえ凶悪犯でも適用が禁じられていたといいます。
エス様が受けた十字架という刑は、それほど過酷なものだったのです。
 それにもかかわらず、激しい苦痛と見物人のあざけりの中で、十字架にクギで打ち付けられたイエス様が最初にいった言葉は「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」という祈りでした。
"彼ら"とは、イエス様を十字架につけた人のことです。では、誰がイエス様を十字架につけたのでしょうか。
 イエス様は、すべての人の罪を背負って、すべての人の身代わりに神様からの罰を受けているのです。
 私たちは、イエス・キリストを知らなかった頃は、「自分が何をしているのか知らない」まま罪をおかしながら生きています。でもイエス様を知って、「イエス様を死なせたのは私。イエス様は私の罪を背負って、私の身代わりに十字架で苦しまれた。」と言い表わすなら、イエス様は私のために「父よ、あの人をおゆるしください」と神様にとりなしてくださるのです。そしてイエス様のとりなしによって罪は完全にゆるされ、私たちは天国に入れる者とされるのです。

TLCCC長崎教会発行のメルマガ『今日のひとこと・ちょっと良い話』5/9日号より
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