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とうとう牧師に立てられた、まどかまこ(東京アンテオケ教会)さんの作品! 現在「み声新聞」より、「マンガ日本キリスト教史」を好評発売中。以前「ゆくゆくは黙示録を描きたい」と言ってました(いまはどうかな?)。。昔はプロの少女漫画家でした。

・「十戒」:紙芝居です。
http://www.geocities.jp/eliyaur/jikkai0.html
・まどかワールド:月1回更新。
http://www.geocities.jp/eliyaur/madoka1.html

預言者学校初級の復習のメモ(ちょっと自己流に編集済)

  • イエス・キリストはなぜ十字架にかかられなければならなかったか?
    • 人がエデンの園で神にそむいた結果、罪が入りこんできた。旧約聖書の時代、神は律法を通して、その罪を赦すため真心からの悔い改めと、罪の身代わり(贖い)となるいけにえを捧げることを求められた。しかし完全な形の贖いのいけにえは地上には存在しない。それゆえ、神は、旧約の時代から、絶対に正しい罪のない人としてのメシヤ(救い主)の到来を預言者を通して語られていた。時が満ちて、神はそのひとり子を聖霊によって一処女マリヤを通して地上におくられた。それがメシヤ、イエス・キリストである。彼は罪のない完全な人であり神であったが、罪のある人間の身代わりとして罪の罰を受けて十字架にかかられて地にくだり、三日目に復活されて、死の力を打ち破られた。そのイエスを神の子・救い主として信じて告白するものは、罪がないものとみなされ(赦され)、その結果神との断絶による霊的な死から、神の子として神との永遠の交わり(永遠の命)に入る。
  • 神はなぜ語られるのでしょうか。
    • 13p終わり3行*1
      • 神は私たちを立て上げ祝福し危険から守られ、そうして主の栄光をあらわすように語られる。
  • 神に聞き従うためには私たちは_______が必要です。
    • 16p最後の行
      • 「み思いを行なう決心」
  • 神に聞き従えなかったとき、失敗したときはどうすればいいのでしょうか?
    • 28p4行目
      • 悔い「改め」、神にたよる。神はそのことも益と変えてくださる。
  • 神の声を聞く耳の成長のために必要なことは?
    • 30p
      • 神が語ってくださると信じ、耳を傾ける。聖書を読み、いのり、教会に出席し、奉仕し、権威に従う。
  • 神の言葉を聞くためには何が大切か?
    • 61p
      • 語りかけを信じる。心を神に向ける。吟味したあと、神に語られたことばを握り続ける。
  • 神の語りかけにはどのようなものがあるか?
    • 聖書を通しての語りかけ。
    • 思い
    • 預言
    • 摂理
    • 説教
    • 心の平安・不安 等
  • 神の語りかけに従って応答するかどうかは私たちの___によります。
    • 「選び」
  • 聞き従うときになされる神の業は、私たちの_____に関わりなく、従ったときに____をなさいます。
    • 「能力」「主の業」
  • 「倒れる」など霊的な現象には聖霊によるものと人間的なものと悪霊によるものがあるので吟味が必要。
  • マーリンチームに行くように語りかけを受けたら、どのように吟味しますか?
    • 76p
      • み言葉などのほかに、実際的な確認(休みが取れるか、経済が与えられているか等)も必要。

*1:頁は「み声に聞き従う」

御声に聞き従う

御声に聞き従う

パウロ秋元著、雲の間にある虹出版 参照。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」               ルカによる福音書23章34節 
 アクセサリーのデザインにもよく使われる十字架ですが、これは死刑のための道具です。両方の手首にクギが打たれ、足は重ねてクギが打ち込まれ、この三点に全体重がかかる苦痛と疲労の中で、長い人で三日もかかって死んでいくのです。しかもこの間はさらし者にされたまま。歴史家も「もっともみじめな死」「奴隷に科される拷問の最悪のきわみ」と書き残しているほど。あまりにも残酷で非人道的な処刑方法なので、ローマの市民権を持つ者はたとえ凶悪犯でも適用が禁じられていたといいます。
エス様が受けた十字架という刑は、それほど過酷なものだったのです。
 それにもかかわらず、激しい苦痛と見物人のあざけりの中で、十字架にクギで打ち付けられたイエス様が最初にいった言葉は「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」という祈りでした。
"彼ら"とは、イエス様を十字架につけた人のことです。では、誰がイエス様を十字架につけたのでしょうか。
 イエス様は、すべての人の罪を背負って、すべての人の身代わりに神様からの罰を受けているのです。
 私たちは、イエス・キリストを知らなかった頃は、「自分が何をしているのか知らない」まま罪をおかしながら生きています。でもイエス様を知って、「イエス様を死なせたのは私。イエス様は私の罪を背負って、私の身代わりに十字架で苦しまれた。」と言い表わすなら、イエス様は私のために「父よ、あの人をおゆるしください」と神様にとりなしてくださるのです。そしてイエス様のとりなしによって罪は完全にゆるされ、私たちは天国に入れる者とされるのです。

TLCCC長崎教会発行のメルマガ『今日のひとこと・ちょっと良い話』5/9日号より
http://www.melma.com/mag/19/m00062019/index_bn.html